ビオダンサの起源とロランド・トーロ・アラネダの生涯


 

1924年4月19日、チリのコンセプシオンに生まれたロランド・トーロ・アラネーダは、20代から30代の初め頃まで、初等教育の教師でした。

 

トーロは、教師の仕事とは、子どもたちが既に持っている才能、能力、繊細さを発揮できるよう励ますことであり、何かを強制することではないと考えていました。

また、子どもたちが、野外に出て行って、直接体験することによる学びを大切にしていたといいます。さらに、学校は、平和への精神を育み、人と人との連帯の気持ちや、生命への愛を強めていく場であるべきだと信じていました。

 

その後トーロは、大学の心理学の教授へと転身しますが、子どもたちを見つめていたそのまなざしは、そのまま、成人を対象とした活動にも注がれていきます。

 

1965年にチリ大学医学部の医療人類学センターに着任すると、まずサンチャゴ市の精神病院で、患者に音楽を用いたエクササイズを行い、音楽と身体の動きが人間の変容にもたらす可能性を発見していきます。当時、本人が「サイコダンサ」と名付けていたこの手法は、1970年には、ポンチフィカ・カトリック大学の美学部の教科として迎え入れられます。

 

心と身体は同じひとつの現実の二つの呼び名であり、分かちがたいものだと考えていたトーロは、自らつけたサイコダンサという名前がしっくりこないと感じていました。 やがて、ロジェ・ガロディの「生命を踊る」という概念と出会い、これにインスピレーションを得て、1976年には、生命のダンス「ビオダンサ」へと名前を変更するに至ります。

 

この新しい名前には、きちんと組み立てられたダンスとも、心理療法とも一線を画するものとして、また、情感とつながっていて、意味にあふれる「自然な動き」としてのダンスを、というトーロの思いが込められています。

 

1973年のクーデターで軍事独裁政権の手に渡ったチリを追われるように、翌年アルゼンチンへ移住、がん患者を支援する市民団体においてビオダンサを行なうなど活動を続け、ブエノス・アイレス・インターアメリカ・オープン大学で名誉教授に任命されました。1979年にはブラジルに渡り、ビオダンサ研究所を創設。ビオダンサは、人間の生涯を通じた成長と統合のプロセスを育むワークとして、ラテンアメリカ全体へと広がっていきます。

 

1989年には、イタリアのミラノに8年間住み、コモ、ヴァレーゼにおいて、アルツハイマーやパーキンソンの患者にビオダンサのワークを行うとともに、国内にファシリテーターを養成するスクールを創設、ヨーロッパでの本格的な展開が始まりました。

 

1998年、チリのサンチャゴに戻ってからは、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、米国、カナダ、南アフリカ、日本、ニュー・ジーランド等のビオダンサ・センターやスクールにおける活動を指導、監督しつつ、各国を周り、自らワークや養成講座を行い続けました。

 

2001年には、ビオダンサと生命中心教育の功績により、スペイン、マドリッドのCasa de Americaにおいて、ノーベル平和賞候補に任命され、2006年にはブラジルのパライーバ連邦大学の名誉教授に、2008年にペルーのメトロポリタン大学の名誉教授に任命されています。

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トーロが生きた青年期は、第二次世界大戦、戦後の冷戦、南米の軍事独裁政権の弾圧の風が吹き荒れた時代でした。そんな中、人間への失望と同時に、学校や家で子どもたちが見せてくれる可能性と希望を前に、どうしたら人間が本来の力を取り戻せるのかを常に考える日々でした。トーロ自身が「ビオダンサは愛へのノスタルジーから生まれた」と語る所以です。

 

トーロはその晩年まで、現場に立ち、さらに勉強し続け、理論を再構築する日々を送り、2010年2月16日に、享年85歳でチリ、サンチャゴに眠りました。

 
※これまで、同氏の誕生日の日付に誤記がありましたことを御詫び申し上げます。正しくは上記のとおりです。(2024年4月15日訂正)